概要
本資料はマリ共和国トンブクトゥ地域に位置するファギビン湖システムの環境問題に焦点をあて、その歴史的背景、現状、課題、対応策、そして政策的含意について詳細に分析している。ファギビン湖はかつて西アフリカ最大級の湖沼群として農業・漁業・生態系の基盤となっていたが、気候変動や人為的影響による水位低下と干ばつにより深刻な環境劣化が進行している。この湖の衰退は地域住民の生計や食料安全保障に直結し、社会経済的脆弱性や紛争の増加にも繋がっている。国連環境計画(UN Environment)と地域機関は、湖の生態系回復と地域開発のための取り組みを進めているが、多様な課題が存在している。
1. 背景と重要性
ファギビン湖はニジェール川の氾濫により水が供給される5つの相互連結した湖(Télé、Takara、Gouber、Kamango、Faguibine)からなる湖群であり、最大で約590平方キロメートルの水面積を持っていた。年間の氾濫は土壌の肥沃化を促進し、漁業や牧草地、約6万ヘクタールの農地を支えていた。また、水鳥や水生生物の生息地としても重要で、経済的には1平方キロメートルあたり年間約10万米ドルの純利益を生み出していた。
しかし、19世紀末からの降雨量減少により湖沼面積は1,000平方キロメートルから2010年には約90平方キロメートルに縮小。1914年、1924年、1944年には完全に干上がるなど、長期的かつ頻発する干ばつが湖の衰退を招いた。この問題は地域住民の生活基盤喪失、食料不安、環境生態系の崩壊を引き起こし、2009年時点でマリ人口の43.6%が貧困ライン以下であったことも踏まえると極めて深刻な事態である。伝統的な農牧業を放棄し移動を余儀なくされる住民も多く、気候変動による不安定な降雨パターンと結びついて地域の不安定化も懸念されている。
2. 調査結果と現状分析
気候変動はこの地域における干ばつの主因とされている。ファギビン湖はニジェール川の氾濫水に依存しているが、雨季の7月から12月にかけての降雨量減少が水位低下を引き起こし、湖や湿地への水の流入を阻害している。過去100年間の降雨データを分析すると、1970年代から1990年代にかけて極端に乾燥した時期が続き、この干ばつは飢饉をもたらし、伝統的な生計手段の崩壊、生物多様性の減少、人命損失、20万人近い人々の生活に影響を及ぼした。
近年も降雨の回復は見られず、上流域での降雨減少傾向はニジェール川の平均流量減少を示唆している。さらに、ダム建設や灌漑プロジェクトが水の利用量を固定的に増加させることで自然の水循環を変化させ、湖の水位回復を阻害している。例えば、セリングエダムの建設により内ニジェールデルタの氾濫水量が減少し、今後はギニアに計画されているフォミダムや上流での農業灌漑拡大がさらなる影響を与えると予測されている。
政治的危機や紛争も地域コミュニティの脆弱性を高めており、土地利用権や資源配分を巡る対立が激化。定住農民と遊牧民の間の関係も変化し、伝統的な土地利用体制が成立しにくくなっている。これらの社会的・環境的複合問題により、多くの住民が都市部や難民キャンプへの移動を余儀なくされている。
3. これまでの対応策
1980年代にはマリ政府がアカシア・トルティリス・ラディアナやプロソピス・ジュリフォラなどの樹種を用いた大規模な植林事業を実施。これにより湖が干上がった跡地の約30%が森林に覆われるまで回復したが、本来の湿地生態系とは異なる森林生態系の形成となった。
2006年、ファギビン湖システムの管理・保護を目的とする「ファギビン湖システム開発事務局(OMVF)」が設立され、河川の浚渫や農牧業の振興、地域住民の生活支援などを担った。2009年には国連環境計画と開発パートナーが約1,500万米ドルの生態系復元プロジェクトを開始し、湖の再浸水と生態系の回復、地域コミュニティへの啓発を実施した。
しかし2011年以降、治安悪化によりプロジェクトは一時停止。現在は国連多次元統合安定化ミッション(MINUSMA)と連携し、環境保全だけでなく、平和構築や社会経済開発も視野に入れた統合的なアプローチで活動を再開している。なお、ファギビン湖のみならずニジェール川流域全体を網羅した広域的な管理・協調が不可欠とされている。
4. 政策的示唆と今後の課題
ファギビン湖の生態系復元は、地域住民の多面的な貧困の根本原因を解決するうえで最も効果的な選択肢である。地域の平和と安全を確保するためには、地域開発、良好なガバナンス、生態系の保全復元が同時に推進される必要がある。これを実現するためには、政府、国際機関、地域コミュニティをはじめとする全ての利害関係者の協力が不可欠である。
また、湖から森林への生態系移行に伴う土地権利や土地利用の社会政治的変化にも配慮が必要である。特に遊牧民の伝統的な土地利用が経済的・生態学的に困難視されている現状を踏まえ、新たな土地権利制度や資源管理の枠組みを地域コミュニティと共に検討し調整を図ることが求められる。森林資源の持続可能な利用を促進し、異なる利用者間の競争を緩和するための計画的な管理も重要である。
国連環境計画は複雑な紛争地域における統合的な支援の経験を有しており、国連開発計画(UNDP)と連携して利害関係者間の対話や平和交渉の促進も視野に入れている。地域の安定と持続可能な発展を目指すためには、環境と社会経済、政治的要素を包括的に捉えた政策設計が不可欠である。
参考文献(抜粋)
- Brockhaus, M. & Djoudi, H. (2008). Adaptation at the interface of forest ecosystem goods and services and livestock production systems in Northern Mali.
- ECOLEX (2006). 法律No.06-011によるファギビン湖システム開発事務局の設立。
- Hamerlynck, O. et al. (2016). Reflooding the Faguibine floodplain system, northern Mali: potential benefits and challenges.
- Pérez, A.A., Fernández, B.H., & Gatti, R.C. (2010). Building Resilience to Climate Change: Ecosystem-based Adaptation and Lessons from the Field.
- World Bank (2017). World Development Indicators 2017.
- Zwarts, L. & van Horssen, P. (2009). Living on the edge: wetlands and birds in a changing Sahel.
総括
ファギビン湖システムは気候変動や人為的な水資源開発により、その生態系と地域社会の基盤が崩壊の危機に瀕している。地域の貧困、食料安全保障、社会的安定に深刻な影響を及ぼしており、この複合的課題に対処するためには生態系復元と社会経済的支援を統合した包括的なアプローチが不可欠である。国際社会と地域が連携し、自然環境と人間の共存を目指す取り組みを強化していく必要がある。